ドビュッシー自身はこのような事態に困惑したが、彼の存在は既に社会の注目の的となっており、新聞各社はドビュッシーの動向を常に監視し、作曲の進捗状況に関する未確認情報までもが記事にされた[24][注 7]。, 「ドビュッシー主義者」たちは「ペレアス」の延長線上にある新作が発表されることを望んでいたが、ドビュッシー自身には「二匹目の泥鰌」を狙うつもりは毛頭なかった。エドガー・アラン・ポーの短編に基づくオペラ『鐘楼の悪魔(英語版)』(未完)や『海』の構想を練っていた頃、ドビュッシーは アンドレ・メサジェ [注 8]に宛てた1903年9月12日付の手紙において次のように述べている。, 親切にも私がけっして《ペレアス》から抜け出られないだろうと期待している人々について言えば、彼らは注意深く目をふさいでいます。ですから、そんなことになれば、もっとも遺憾なことはまさに「繰り返す」ことだと私は考えていますから、すぐさま自室でパイナップル栽培でも始めるだろうということが彼らにはまったく分からないのです。, ドビュッシーは、1899年に結婚したロザリー・テクシエ(愛称リリー)という11歳年下の妻がいたが、『海』を作曲中の1904年に銀行家夫人で同い年のエンマ・バルダックとの仲を深め[注 9]、ついには不倫の間柄となった[注 10]。 着想から完成までに約1年半を要したものの、『夜想曲』が5年、『映像』が7年の年月を必要としたことに比べれば異例の早さとも言える[44]。, こうして完成した『海』は具体的な標題を有するにもかかわらず、構成に重点が置かれた絶対音楽的な作品であり[45]、一種の交響曲と見なされることさえある[45][46][注 23]。 ドビュッシーの「海」~管弦楽のための3つの交響的素描~(La Mer)は、1905年に完成されています。 第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」、第2楽章「波の戯れ」、第3楽章「風と海との対話」というように副題がついた3つの楽章で構成されています。 このような状態の中、1905年10月15日、パリにおいてシュヴァイヤール指揮ラムルー管弦楽団により『海』の初演は行われた[注 32]。, 「ドビュッシー主義者」たちは新作『海』が「ペレアス」的な音楽でないことに失望し[60]、直後に発行された『ル・タン(英語版、フランス語版)』紙1905年10月15日号では、かつてドビュッシーの擁護者であった[61]音楽評論家ピエール・ラロ(英語版)が、同作品について「自然の複製品」「海を感じることができない」などと酷評した[62][注 33]。 なぜなら『海』の第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」には、構想の初期段階から完成間際までの約1年半にわたり、モクレールの小説と全く同名の「サンギネール諸島付近の美しい海」という副題がつけられていたからである[13]。ドビュッシーはモクレールとの面識があった上[注 4]、同小説が掲載された『エコー・ド・パリ』紙も当時購読しており[15]、この小説の存在を知っていた可能性は高い[14]。, 小説の筋書きは、地中海で嵐にあった船乗りが架空の3つの島々を順に訪れるというもので、その行程は「若さ」や「生命」が「老い」や「滅び」に向かう様子を寓意的に表現している[13][注 5]。絶望的な、いわゆる「バッドエンド」で終わる物語であり、ドビュッシーの作品とは全体の色調がかなり異なっている[16]。, 両作品の関係については、いずれも全体が三部構成をとっており、時間の推移を表現しているという共通点が見られることから、ドビュッシーが小説から何らかのインスピレーションを得たとする説がある一方[17]、「血を流すことを好む、残忍な」を意味する「サンギネール」(Sanguinaire)と、「美しい」という言葉のギャップの面白さから選ばれたに過ぎないとする説もある[18]。いずれにせよ、北斎の場合と同様、それを客観的に検証できる史料は存在せず、やはり憶測の域を出ない。, ドビュッシーは多くの書簡や著述を残しているが、『海』については多くを語っていないため、北斎やモクレールの作品との関連に限らず、創作の核心部分は秘められたままになっている[19]。, 当楽曲は、前述のとおり1903年から1905年にかけて作曲された。この時期にドビュッシーは次のような状況に置かれていた。, 1902年に初演されたオペラ『ペレアスとメリザンド』の成功は、フランス国内におけるドビュッシーの知名度を飛躍的に高めた[20][注 6]。 まずはダイジェストで! 弦楽器が奏でる激しくざわつくような調べ、打ち鳴らされるテ ... まずはダイジェストで聴いてみよう! 軽やかに飛び跳ねるようなホルンのソロは物語の ... まずはダイジェストで聴いてみよう! 弦楽器が紡ぎだす有名な旋律は悠然と流れるモル ... まずはダイジェストで聴いてみよう! 金管楽器が奏でる勇壮な響きが悠久の時をさかの ... 作曲の背景 「ローマの祭り」(伊:Feste Romane)はイタリアの作曲家、 ... 当サイトでは「これからクラシック音楽を楽しんでみたい。」と言うクラシック初心者の方を対象に「おすすめのクラシック」「はじめてのクラシック」を管理人の感想を交えながら紹介しています。. クラウディオ・アバド(Claudio Abbado)(1933-2014)はカラヤンの後を継ぎベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督として活躍したイタリア出身の指揮者です。この記事ではそんなアバドの生涯を動画を交えながらご紹介しようと思います。生い立ちアバドはイタ... 「Amazon Music Unlimited」無料体験を試してみる!使い方を完全ガイド!【2020年版】. Dialogue du vent et de la mer ))で構成されており、演奏所要時間は23分~24分[3]。作品は、楽譜を出版したデュラン社の経営者ジャック・デュラン(Jacques Durand)に献呈されている[3][注 2]。, 1905年にフランスで出版された『海』初版のオーケストラスコア [注 3]の表紙デザインには、ドビュッシー自身の希望により、葛飾北斎の『冨嶽三十六景』の1つ「神奈川沖浪裏」(正確にはその左半分の大きな波の部分)が用いられた[8]。 実際、全体が3つの楽章で構成されている点や、複数の楽章にわたって同じ主題や動機を使う「循環形式」が用いられている点は、当時のフランスの作曲家が書いた交響曲とも共通している[48][注 24]。, ただし、音楽を構成する原理は、従来のソナタ形式の「主題提示」-「展開」-「再現」といった直線的なものではなく、動機や主題が相互に関係を持ちながら螺旋を描くように生成転化していくという[49]、まったく新しい独自のものであった[注 25]。作品の詳細な分析を行った作曲家ジャン・バラケは、「『海』によってドビュッシーは新しい音楽技法を発明し直した」と評価し[51]、その新しい構成原理を「開かれた形式」と呼んだ[52]。バラケは次のように言う。, ドビュッシーは、『海』でもって、展開の一方式を現実に考えだした。それは、呈示とか展開とかの概念をさえ、ある不断の湧出のなかに、共存させる。その湧出が作品に可能にするのは、あらかじめ設定されたなんらかのモデルのたすけを乞わずに、自身の力でいわばみずからを推進することなのである。, 気づかれないようなふとした音の動きがより大きな動きを誘い出し、それが次々に広がっていく。つまり音が自らの内部から進む力を繰り出していく。これが既存の形式ではない形を生んでいくのである。, 後にドビュッシーは「音楽」というものを「律動づけられた時間と色彩でできている」と説明するが[注 26]、この言葉は『海』にそのまま当てはまるばかりでなく[54]、むしろ『海』での実践が、こうした考え方の裏付けになっているとも言える[55]。, しかし、こうした『海』の作曲技法上の新しさは、初演当時の聴衆や批評家にはほとんど理解されず[注 27]、「音楽による海の描写」という観点から作品を論じる者が大多数であった[56][注 28]。 《『海』管弦楽のための3つの交響的素描》(うみ、フランス語: La Mer, trois esquisses symphoniques pour orchestre ) は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1903年から1905年にかけて作曲した管弦楽曲である。 Copyright © 2020 気軽にクラシック! All Rights Reserved. 私がクラシック音楽を聴き始めたのは中学生の頃、当時はFMラジオの放送をカセットテープに録音するか、レコードを購入して聴くのが主な楽しみ方でした。その後VHSやレーザーディスクが普及し、クラシック番組を熱心に録画したり、レーザーディスクもずいぶん買い集め... まずはダイジェストで聴いてみよう!夢の中を漂うかのような虚ろなフルートの旋律、それにホルンの響きが柔らかく包み込むように応えます。まずは有名なフルートのソロではじまる冒頭の部分をダイジェストで聴いてみましょう。サイモン・ラトル指揮:ベルリン・フィ... まずはダイジェストで聴いてみよう!朝もやに包まれたかのような幻想的な夜明けの情景をオーケストラが壮大に描きます。スコア(総譜)は大変精緻で、まるで幾何学模様のようです。まずは「ダフニスとクロエ」第2組曲から「夜明け」をダイジェストで聴いてみましょ... ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編)「はげ山の一夜」【解説とyoutube動画】, リヒャルト・シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」【解説とyoutube動画】. バラケは、この楽章が対照的な2つの「力」(「混沌とした運動」、「歌う旋律」)の二元性に基づく構造であることを示唆している[85][注 42]。, 初演が行われた1905年には、『海』のオーケストラ譜と、ドビュッシー自身によって編曲されたピアノ連弾用の楽譜[注 43]が、いずれもデュラン社から出版された。その後、1909年には、アンドレ・カプレ編曲による2台のピアノ版の楽譜、また、オーケストラ譜の新版が出版された[87][注 44]。1909年の新版は、前年にドビュッシー自身が『海』を指揮したことを受け[67]、印刷ミスの修正や、オーケストレーションの調整のほか[注 45]、楽想の変更が行われている。, 第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」では、主部前半の終わり2小節(チェロの主題が出る直前)が1小節にまとめられ(第83小節目)、結果、第1楽章全体の小節数は1905年版よりも1小節少なくなった[87]。次の譜例は該当箇所を並べて比較したもので、上段がティンパニ、下段がシンバルである。, また、第3楽章「風と海との対話」の終盤近く、第237小節目から第244小節目にかけての部分にはトランペットとホルンで奏されるファンファーレ風の動機が書かれていたが(下の譜例参照)これは全て削除された[73][注 46]。しかし、指揮者のエルネスト・アンセルメは削除された動機を復活させ[90]、以後、それに倣う演奏者も少なくない[注 47]。, なお、作曲者によるピアノ連弾版、カプレによる2台ピアノ版の楽譜には、このファンファーレ風の動機が残されたままになっている。, ドビュッシーの死後にも出版社による校訂が行われており、現在、細部が異なる複数のオーケストラ譜が存在している。1992年に出版された音楽之友社のポケットスコアは、マックス・ポンマー校訂によるペータース社のスコアに基づいており、これは自筆譜および1905年、1909年、1938年の出版譜をもとに校訂が行われている。一方、本家のデュラン社も独自の校訂を行っており、特に第3楽章のエンディング部分の金管楽器の扱いは初版から大きく変わっている。現行のデュラン社版ポケットスコア[注 48]では、トロンボーンによるAの反行形がコルネットとテューバで補強されており、そのためにコルネットが担当していたBの短縮形がスコアから完全に削除されている[注 49]。, 次の譜例は、複縦線(二重線)を境にして左が初版(音楽之友社版も同様)、右がデュラン社版の同一箇所のオーケストレーションを比較したもので、1段目がコルネット、2段目がトロンボーン、3段目がテューバである。なお、デュラン社版で削除されたコルネットのBの音形は、作曲者自身のピアノ連弾版には書かれているが、カプレによる2台ピアノ版には書かれていない。, 「付随音楽『リア王』のスコアを書いた」、「オペラ『鐘楼の悪魔』が完成した」などの虚偽の情報が新聞で報道された, エンマは、ドビュッシーの生徒であったラウル・バルダックの母親であり、1903年にラウルがドビュッシーを自宅の夕食会に誘ったことが出会いのきっかけとなった, この間、1905年1月3日には『フィガロ紙』が「リリーが2度目の自殺未遂を図った」という誤報を流している, ビシャンには妻リリーの実家がある。ドビュッシーは1903年7月10日から10月1日までこの地に滞在した, 『海』を作曲中にドビュッシーが実際の海に接したのはこれらの場所においてである。ジャージー島のグランド・ホテルからジャック・デュランに宛てた手紙には、ドビュッシーが実際の海に「茫然自失」していると記している, ドビュッシーは、ジャック・デュラン宛の1905年10月10日の書簡にて、シュヴァイヤールを「芸術家とは言いがたい人間, 1905年の初演における演奏が芳しくなかったため、自作自演による再演の日を初演日時として扱う場合もあると言う, 第1楽章で最初に「循環主題」が提示される箇所は、記譜上はコーラングレとトランペットの音は同じであるが、実際に出る音はトランペットの方が1オクターブ高い。, ただし、具体的な譜例や小節番号などは明示されていない。なお、バラケは、「風と海との対話」という副題が楽章の構造の二元性を示しているとも指摘している, このファンファーレ風の動機は、ドビュッシーの自筆譜による初版の簡略譜には書かれていないため、完成間近の段階で総譜に書きこまれていた可能性がある, このポケットスコア(ISMN 979-0-044-01142-1)には校訂報告がない。, 井上さつき『ドビュッシーと絵画:複合芸術研究の試み』ミクスト・ミューズ:愛知県立芸術大学音楽学部音楽学コース紀要、2009年3月31日、, 金子健志編『200CD オーケストラの秘密-大作曲家・名曲のつくり方』立風書房、1999年8月20日、, 平島正郎『最新名曲解説全集第5巻-管弦楽曲II』(ドビュッシー『海』の項)、音楽之友社、1980年5月1日、413頁, フランソワ・ルシュール 笠羽映子訳『伝記 クロード・ドビュッシー』音楽之友社、2003年9月10日、, マックス・ポンマー 寺本まり子訳 ポケットスコア『ドビュッシー:海』(はしがき)音楽之友社、1992年9月10日、6頁, 沼野雄司『C.ドビュッシーの《海》研究序説:第1曲を中心に』東京音楽大学研究紀要23、1999年12月20日、, ジャン・バラケ 平島正郎訳『《永遠の音楽家》7-ドビュッシー』白水社、1969年6月20日、229頁, フランソワ・ルシュール 笠羽映子訳『ドビュッシー書簡集』音楽之友社、1999年11月20日、, 矢代秋雄『オルフェオの死-矢代秋雄音楽論集』、音楽之友社、1996年6月12日、ISBN-4-276-37073-6、54頁、61頁, 小鍛冶邦隆『作曲の技法-バッハからヴェーベルンまで』音楽之友社、2008年1月10日、, エクトール・ベルリオーズ、リヒャルト・シュトラウス 小鍛冶邦隆監修、広瀬大介訳『管弦楽法』(監修者注)、音楽之友社、2006年2月28日、, アンドレ・シェフネル『ドビュッシーをめぐる変奏-印象主義から遠く離れて』みすず書房、2012年2月14日、, ピエール・ブーレーズ/クロード・サミュエル 笠羽映子訳『エクラ/ブーレーズ-響きあう言葉と音楽』青土社、2006年1月20日、, 濱田滋郎 ポケットスコア『〈海〉3つの交響的素描』(解説)日本楽譜出版社、解説5頁, 次郎丸智希『武満徹作品における引用~『夢の引用-Say sea, take me!-』を中心に~』、お茶の水音楽論集第13号、2011年4月、, https://www.kintetsu.co.jp/senden/melody/, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=海_(ドビュッシー)&oldid=80286219, トランペットはF管であるが、同じF管のコーラングレやホルンとは異なり、実際に出る音は記譜よりも完全4度高い, 弦楽器については1つのパートがさらに複数の声部に分割される。第1楽章の第86小節目では4声部に分割されたチェロに対し、それぞれの声部を4人で演奏する指示があり、計16名の奏者が要求されている, 楽章ごとに使用する楽器は異なっており、第3楽章「風と海の対話」が最も大きな編成となる。この楽章では、ファゴットは4本(うち1本はコントラファゴット)使われ、コルネットがトランペットと組み合わされるが、これらは、, ポケットスコア『ドビュッシー・[海]』(菅原明朗解説)全音楽譜出版社、2008年7月25日、, ポケットスコア『ドビュッシー:海』(マックス・ポンマー解説 寺本まり子訳)音楽之友社、1992年9月10日, ポケットスコア『〈海〉3つの交響的素描』(濱田滋郎解説)日本楽譜出版社、2014年、, ジャン・バラケ 平島正郎訳『《永遠の音楽家》7-ドビュッシー』白水社、1969年6月20日, フランソワ・ルシュール 笠羽映子訳『伝記 クロード・ドビュッシー』音楽之友社、2003年9月10日、, 平島正郎『最新名曲解説全集第5巻-管弦楽曲II』(ドビュッシー『海』の項)、音楽之友社、1980年5月1日.